Thinking Time

自分にとって何かを考える、ということについて。


1.物事の正しさの証明
正しいかなんかある意味どうでもいい。
ただ、事実として正しいか間違っているかは、
勿論考える中で1つの要素ではある。
間違っているよりは、正しい方がいいに決まってるし。
でも間違ってるから駄目、とかは思わない。
そういう意味では、考えるという「プロセス」は大事にしてる。
というか、せざるを得ない。
じゃなきゃ、正しいものだけ妄信的に信じてたらええんやから。




2.複数解の可能性
数学の答えが1つじゃないように(勿論1つしかないものもあるけど)、
答えは1つじゃない。
ましてや「プロセス」なんて無数にある。
そもそも答えって何だ。
意味によって導かれる1つの「方針」なのかしら。




3.考えない、という選択肢がない
自分にとって物事を考えない、という選択肢はない。
というかこれはトラウマ的なもので。
家庭環境については省くけど、
まあ考えるように「訓練」された感は否めない。
僕は何も考えないことが出来ない。
「無心」というものが何かを知りたい。
それが何かを考える。
堂々巡り、世界は廻り続ける。




上記は「考えること」について「考えた」1つの「考え」でしかない。
この先どんなことを考えるかは想像出来ない。
それを考えるには、僕にはまだ人生が浅すぎる。